今日、6月24日はしじみの月命日です。早いですね。4ヶ月と少し前までは、私はしじみと暮らしていたんですね。
たまにですが、自分で書いたブログを読み返しては泣く、という少々気持ち悪い事を繰り返しています。あ、泣くと言っても激しく泣きじゃくったりはしていません。シクシク、程度かな。
ただ、読み返せるのは記録として書いたしじみの没後以降の日記で、それ以前となるとまだまだ先になりそうです。特に余命宣告を受けてからの1ヶ月の記録を振り返るのは到底無理という感じかな。
毎日、繰り返し繰り返し、耳の先からしっぽの先まで。口の中、爪の裏側、しじみの全てを克明に頭の中で再現しています。
私としてはふくふくと丸々していたしじみを再現したいのですが、目を瞑り脳裏に浮かぶのは、抱くとティシュの箱程度に感じるほど軽くなってしまったしじみ。骨が浮き出す細い背中。振り払っても振り払っても、闘病中のしじみが私の中にいます。
ずっと私の膝に陣取り、重くてどいてほしいけど、そうも言えず足の痺れを耐えたあの日の丸々としたしじみを思い浮かべたいんだけどな。
夢の中でも無く、しっかり意識がある状態なのに不思議ですね。
そうそう、夢と言えば毎日毎日、夢の中でも良いから会いたいよ、とお願いして寝室に向かうのに、私もチーもいまだにしじみの夢を見た事がありません。なんなら今いちばんの願いなのにな。
今日は2015年のしじみを振り返りたいと思います。
私ね、しじみとおばあちゃんになるのを楽しみにしてたんだー
はぁ?
昨日チーが言ってたよ。しーちゃん、前この椅子に良く座ってたねぇって。
ふぅん。
まだ私達に慣れない頃はダイニングテーブルの椅子が定位置でした。そういえばいちばん最初にダイニングテーブルでしじみが夜を明かした日、私もテーブルの下に潜り込んでしじみを見ながら寝たんだった。私はずっとしじみにベタ惚れでした。
何もかもが可愛くて愛さずにいられない
会いたいなぁ。もう会えないなんて信じられない
しじみは私達がどれだけ自分に夢中で、愛されているか熟知していました。それは今も気持ちの救いになっています。
しじみが自覚していた通り、たしかに、しじみが我が家の中心でした。そして今もそれは変わりません。
今日は小さなブーケを選びました。
それからふわふわのケイトウと、名前忘れちゃった…同じくピンクのふわふわ
しじみちゃん、ごきげんいかがですか?
そろそろ夢の中で良いから会いたいなぁ。