今日はしじみの100か日です。もう100日かぁ。
家の中で名前を呼ばない日はありません。
しぃ、しーちゃん、しじみ!
気づけば名前を呼んでいます。しじみがいた頃も無意味に名前を呼んでは、おしっぽ返事を貰って嬉しくてはしゃいでいました。
私は知っています。どんなに忘れたくなくてもいつかはこの胸の痛みと悲しみに、時間薬が効いてきてしまうことを。せっかくしじみ仕様になった私の脳内にも時間薬は効いてしまうの?効いて欲しくないなぁ。繰り返しになりますが、しじみに関する事はもう何一つ失いたくないです。
まるでいるかのように名前を呼ぶ日々の今。もちろん無意識の行動です。気づくと口が勝手に開いて名前を呼んでいます。
しじみは注目が大好きでした。褒められるのが大好きでした。この無意識に名前を呼ぶ、という行為はしじみも喜んでくれると思っています。
他人だけど夫婦だなぁと思った出来事を。
脳がしじみ仕様になった私はある変化がありました。何か心が動くと「あぁ、しじみにも見せてあげたいなぁ」と思う様になりました。猫なので当然、一緒に外出するのは病院だけです。外で様々な景色を一緒に見た事などありせん。
なのに、見ているものが自然の景色だけでなく、ユニバでも。自分が楽しいと急に鼻の奥がツンとして「しじみにも見せたい」と思ってしまいます。しーちゃん、クロミのショーなんて絶対見たくないと思いますけどね。でも妄想の中では私に抱っこされたしじみが、興味津々でステージを見ています。
おそらく頭の中でずっと一緒にいるうち擬人化が進みまくっているのかなぁ。
こんな話をチーにすると、なんとチーも似たような事をしていました。
毎日ではありませんが夜のジョギングを再開したチー。折り返し地点あたりに、自分の中でしじみが待っていると想定しているポイントがあるそうです。
曰く、疲れてもそこを目指すと頑張れる。そこから先はしじみを大事に抱いて走って家まで帰ってくるんだよ、とのこと。
これももちろん妄想。
人からしたら何言ってんの?だと思いますが私はそれをとても好ましく思いました。
しじみを抱いて走るチーが目に浮かびます。しじみを抱いているから少し走りにくいそうです。
わかる、わかるよ。しじみは形としてはいないけれどずっと私たちと一緒だよね。
2021.6.2 ちょうど3年前のしじみ。ダイニングテーブルの上で私の仕事用のPCとiPhoneに陣取っていますね。ちょこっとしたものを置くと必ず乗り心地を試していました。
まぁまぁね。
え?こんなのにも乗るの?スマホのカバーを変えようと置いていると、すかさずちょこん。しじみはめざといところがありました。これは2018.1.5。
2022.6.2 ちょうど2年前のしじみ。この頃はもう闘病中で痩せていますね。いつもソファーから監視してくれていたね。
言っても仕方ないけど言いたくなります。
こんなに早くお別れが来るんだったら、食べるのが大好きだったしじみの食欲があった頃、好きなものを好きなだけ、食べさせてあげれば良かった。
健康的な食事にこだわらず、お刺身でもジャンクなスープでもなんでも、なーーーーんでも。食べてくれている間に食べたいだけ、食べさせれば良かったよ。しじみがもっと食べたいなぁと私を見上げた顔がまざまざと思い浮かびます。
……大丈夫。まだまだ時間薬が効くのは先の話みたいです。
100か日、しじみをイメージしたお花はこちら。丸々としていたしじみみたいに、丸いシルエットの花たちを選びました。 しじみが良く占領していたダイニングテーブル用です。
特にまんまるのグリーン、初めて見たけどこけみたいで、かわいいー!名前忘れちゃった…なんだっけ?
しじみコーナー用には鮮やかなピンクを。これはチーが選びました。1本が良いんですって。そうなの?
しじみを想起させる花を選ぶのは週に1度か2度のお楽しみです。これから暑くなるとお花の待ちも悪くなるから週に2回がマストになるのかな。
……毎回ごめんなさい。最後にしじみへの未練を。
会いたい、会いたいです。しじみに会いたい。抱いて頬ずりしたいです。たくさんキスをしたいです。愛しているよ。