しじみの小部屋

猫と人の暮らしのblogです。

【記録1】今の気持ちと、しじみと最後に過ごした2日間のこと。



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お久しぶりの更新です。私達夫婦は最愛のしじみの月命日を1回と昨日49日を迎えました。しじみが逝ってしまったのは最後の更新の2日後のことです。

あの時の私はいよいよお別れが近いのを悟っており、次に更新出来るのは年単位でいつかわからないという気持ちでタイトルを「また楽しい気持ちで更新出来る日までさようなら」としました。

更新はとても迷いましたが、書き残しておきたい気持ちが勝りました。

今の私はしじみの記憶が少しでも薄れる事を何よりも恐れています。しじみに関する事はなんでも克明に記憶していたいです。何回かに分けて、わたしたちの最後の記録、そして今の事を書いてみたいと思います。

 

 

 

2024.2.24  12:55 頃

私達のお姫様、愛するしじみが永遠の眠りにつきました。

 

しじみとの別れを経験してみると、愛する家族とのお別れの受け入れ方にはかなり個人差があるんだろうなと感じました。

 

私の場合は、余命を告げられた時、衰弱していくしじみを見守った時、いよいよお別れが近づいたのを悟った時、永遠の眠りについた直後から葬儀まで、葬儀を終えてお骨になったしじみと帰宅した時、今に続くその後、その時々で心の置き所が様々に変化しました。なんというか一括りには出来ない状態で感情が目まぐるしく揺れ動き、感情だけでなく自身の行動もやたら活動的になったり無気力になったりしました。

 

あまり重くならない様にいかに辛く悲しいかは出来るだけ省いて、これから何回かに分けてその時々で感じた事や、私たちなりのお別れ、そしてその後の事を記録として書きます。

今回は、今の気持ちと、しじみが永遠の眠りにつくまでの記録です。

 

■誰にともなくだから書ける今の気持ちついて。

 

余命1ヶ月程度と聞いた後が今考えると「見るからに」いちばん取り乱していたと思います。

経験前は最も取り乱すと思っていたのは失った後でしたが、実際にはしじみの葬儀をした翌日から(泣き過ぎて目が開かず1週間程度とんでもない顔でしたが)普通通り出勤し、表面上はすぐに日常に戻りました。笑うし、はしゃぐし、お腹も空くし、ぐっすり眠れてもいます。

 

いつしじみを失うかもわからない恐怖感を抱えて過ごした日々は心身共に疲弊し不安定でした。しじみを失い、同時に恐怖感も失った事で日常生活を取り戻せたのかも知れません。

けれど(職場では)見せないけれど、深い喪失感を抱えた状態に変化しただけで、心が平穏なわけではありません。

私と一緒に「お互い歳とったねー」と笑い合うはずだったしじみがどうしてこんなに早く逝かなければならなかったんでしょうか?

あれからずっと頭の中が2層になっている感じで、しじみに対する変わらぬ愛や喪失感を常に感じています。なんなら日を追うごとに恋しさが募っています。

 

その為、生前しじみを心配して個々に連絡を下さった方に今現在も何も伝えていません。大変失礼ながら、このブログ上でのご報告とさせてください。

しじみの事は家族、もしくは家族の延長線上にいる数名の友人にしか話せませんでした。(便宜上、職場でも話しています)

こうして誰にともなく書く事は出来ても、個別にご報告というのはとても出来ません。いったいどんな言葉ややり取りが適切なのか、どんな顔をしたら良いのかわからないんです。

私は日常を取り戻し元気ですし、しじみを失った事を受けとめてはいますが、その事を語りたくは無いのです。話すと未練や涙が止まらなくなりますがそれをしじののや家族以外には見られたくはありません。

 

どうか不義理をご理解いただけたら幸いです。

 

*****

余命を意識した後、不安と恐怖が混じり合い受け入れ難い中、一方で現実的に考える自分もいました。

どうしても見送るしかないなら、しじみの恋人であるチーがそばにいられる時であって欲しい。(3月以降、出張が立て込んでいました)

けれどそう願うとまるで何なら早めにと願っている様にも思えてしまい混乱しました。

しじみを失った後も私が願ったせいかと自分を忌まわしく思え、しばらく苦しかったです。しじみを失ったやるせなさをぶつけるのに、自分を恨めしく思うのがある意味楽だったんですね。

私達のお姫様がどうして逝く必要があるのか、あまりにも不条理で憎む対象が欲しいほどでした。

 

 

*****

私の誕生日である2月1日まで一緒に過ごせるかどうかというほど目に見えて衰弱していたしじみでしたが、その後3週間程度弱々しいながらも「いかにもしじみ」な姿を見せてくれました。

私があまりにも激しく泣き叫び続け、感情のコントロールがきかなくなったのを心配し、しじみが戻って来てくれたのかも、と妄想したりもしました。

 

さらに私の願いを叶えるかのごとく、2月3連休の昼に最愛の恋人、チーと見つめあいながら永遠の眠りにつき、葬儀まで丸1日、しじみの亡骸と家族で過ごす時間を与えてくれ、日曜日に私達の元を旅立ちました。

夫婦一緒に見送る事が出来た安堵と共に、前述した様に自分への忌まわしい感情が絡み合いました。仕事になんの支障もきたさない日程だったのも余計に辛く感じました。

 

*****

ひたすら悲しみや苦しみだけだったような表現になりましたが、救いもありました。ただひとつだけ、自分を責める感情がわかない事があったんです。しじみとの闘病生活です。

 

しじみと暮らして4年目の2019年から最期まで、次々と病や心配事が増えていく状態でした。猫と暮らすのは初めてなので、当然闘病も初めてです。その為「完璧なケアだった」とはいえませんが、しじみに胸を張って誓えるのは私達はしじみに何一つ惜しみませんでした。

戸惑う事もありましたし、決断に悩む事もありました。もちろん反省点は多々あります。けれど、私達なりの最善は尽くせたと思っています。

衰弱していくしじみを見るのは胸が張り裂けそうでしたが、医療において遅きに失したと思う事は無く、足掻くだけ足掻いた事は現実を受け入れるしかない状況で、苦しいながら救いになりました。

 

 

■しじみと過ごした最後の2日間について

 

2024.2.23

しじみは寝返りをうつのもままならなくなりました。前日の22日までは食べなくともよろける足取りで私の隣に3度も来てくれたのに。

f:id:hiraryo0201:20240227195157j:imageしじみ、アナタも好きだよ

 

諦めきれず、嫌がることはしないと決めていたのにキドナ(しじみはキドナが大嫌い)をスポイトで少しづつ飲ませると結局嘔吐してしまいました。
f:id:hiraryo0201:20240227195204j:imageあれさーまずいのよー

 

飲ませる時もぐにゃりと力が入らず不安で気が狂いそうでした。でもつい一か月前もこうだったので希望を捨てきれません。
f:id:hiraryo0201:20240227195218j:imageアナタ何泣いてるのー?へんなの。

 

しじみは猫こたつの上を好んでいましたが、衰弱した状態で寝返りをすると落下しかねないのと、嘔吐で猫こたつが汚れたのもあり、私が寝ていた寝具の上に寝かせました。悪くは無さそうですがこんな状態でも自力でトイレに行こうとして戻れず倒れてしまったのと、私が近くで凝視して騒ぐのでちょっと鬱陶しそうでした。
f:id:hiraryo0201:20240227195207j:image静かにして欲しいわ

 

次に床にブランケットを敷き酸素を口元に持って来ました。ですがこれもベストな気がしません。
f:id:hiraryo0201:20240227195214j:image疲れちゃったわ

 

これらの移動は奇跡を願い、今のしじみの最善を見つけるためのあれこれでした。

けれど23日の夜チーと話し合い、ここからは24時間体制で交代で片時も目を離さず見ている事にしました。

いよいよ、しじみとのお別れが近づいているのをお互い口には出さないものの感じていました。そこで、もう1度、しじみが好む猫こたつの上に戻しました。

f:id:hiraryo0201:20240303003626j:image

 

2024.2.24早朝7時

酸素室を考えていた「最終形態」に変更しました。酸素室は直射日光はNGなので窓から少し離し、でも光が入る場所に。トイレも入れ、寝返りを打ちやすいように柔らか過ぎない手持ちのマットやブランケットを選びました。
f:id:hiraryo0201:20240227195221j:image

 

ところで、酸素室を大きめサイズにしていて良かったです。このサイズで無ければ、しじみはこんなに使ってくれなかったかも。私が促すのでは無く、しじみが自主的に使っていました。

出入り自由にしたかったので、最後まで片方の扉は外したままで、代わりに冷蔵庫シート(簾の様になっています)を使いました。

・シートを切り離し少しづつ重ね貼り

・下部をしじみサイズにカットし、出入口を作りオープン状態に。

・隙間は養生テープで塞ぎ調整可能に。(本来は酸素室の窓で酸素濃度を調節します)

酸素濃度に関しては酸素室内外であまり差が出過ぎない様、酸素濃度計を見ながら、養生テープの貼り方や貼る量で微調整を続けました。ピッタリ全てを貼ると酸素濃度が上がり、何枚か外すと下がるのでこの方法で有効だったと思います。

f:id:hiraryo0201:20240227201630j:image初めて使うのでかなり戸惑いましたー

 

詳しいわけでもないのにウダウダ説明が長かったですね。けれど、これが私がしじみに出来た最後の工夫だったのでなんだか思いが深いんです。

しじみに喜んで欲しくて、しじみと家族になれたのが私達で良かったと信じたくて、色々な事を試し続けた8年と9ヶ月でした。

 

だんだんとしじみがさようならの準備を始めているのを感じました。交代で24時間体制と言ってもついうとうとしてしまう事があり特に夜は怖かったです。

 

愛しい2ショット♡
f:id:hiraryo0201:20240227195153j:image

 

しじみの最期について詳細には書きませんが、意識が遠のく中チーに甘える様な仕草を見せた事だけは書き残しておきます。

 

2024.2.24  12:55頃 しじみ永眠

 

数日はそばにいてくれると思ったのに、週明け仕事を休む算段をいつとろうか考えていたのに、最終形態に整えたら私達のお姫様が思ったより早く逝ってしまいました。

奇跡はもう起こらずほぼ「おそらく1ヶ月程度」告知を受けた通りのさようならでした。

最後となった通院時、先生から嫌がる事やストレスになる事はもうせず、しじみが安心して家族と過ごす事が出来る時間をとる事を勧められ、私達もそう決めたものの、葛藤はものすごくありました。

最後に色々な行動を見せてくれている間、奇跡が起こったかも知れないから血液検査をしたい、何か出来る事が無いか病院に連れていこうかといった、何とか足掻き続けたいという思いにかられる事もありました。

けれど、苦しまない為の最低限の投薬は続けたものの、もう通院はしませんでした。そしてしじみは最期を迎えました。

正解は分かりませんが、しじみを心の底から愛しています。そして何としてでも失いたくなどありませんでした。私達は間違った決断はしていないと信じます。

 

明日からはその後について書いていきます。長文をお読み下さりありがとうございました。重ねて不義理を心よりお詫び致します。

 

 

 


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